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中村俊輔の移籍決断の理由 なぜ磐田に決めたのか?

2017年8月30日スポーツ関連


中村俊輔選手が、
横浜Fマリノスからジュビロ磐田への
電撃移籍を発表しましたね。

中村選手といえば、
どの選手よりもマリノス愛が強く
「マリノスといえば中村選手」
といわれる程チームの顔になっていました。

その中村選手が移籍を決断したのには
何か理由があったのでしょうか?

そしてなぜ移籍先をジュビロに決めたのか?

中村選手のコメントなどをもとに
考えていきたいと思います。

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中村俊輔選手について

中村俊輔についてかんたんに触れておきます。
 
 
中村俊輔は
1978年6月24日生まれの38歳(記事作成時)です。

神奈川県出身で、
桐光学園高校から97年に横浜マリノスに入団。

2002年にはレッジーナ(当時イタリアのセリエA)、
2005年にはセルティック(スコットランド)、
2009年にエスパニョール(スペインのリーガエスパニョーラ)に移籍。

しかしエスパニョールでは期待に応えることが出来ず
2010年に横浜Fマリノスに復帰。

昨年までマリノスでチームに貢献。
2016年には19試合出場4得点を決めています。
 

大好きなマリノスに入ってからの
活躍はすばらしいものでした。

そのおかげで海外移籍も果たし、
色々辛い経験も経て成長して日本に戻ってきたわけですね。
 

最近は
年齢的にもベテランとしての扱いが強くなり
年々出場機会は少なくなってきているものの、
マリノスの精神的支柱の1人として貢献してきました。
 
「中村俊輔=マリノス」
といわれる存在だったのは事実です。
 

中村選手は小さい頃
マリノスのジュニアユース(当初は日産)
に所属していた時期があったそうですが
ユースに昇格できずに桐光学園に進学して
サッカー部で全国を目指すことになります。

桐光学園では2年連続で
冬の選手権(全国大会)への出場を果たし
3年生のときに準優勝を果たしています。

そして高校を卒業し
再び横浜マリノスに入団。

このように、
中村俊輔はマリノスとは深い縁があったわけですねw

 

セルジオ越後が騒ぎを一蹴

「背景にはクラブとの考え方の相違があったのだといわれている」

と語っているのはセルジオ越後です。

「驚いている人が多いが、僕は周りが騒ぎすぎているように感じる中村はプロサッカー選手として自分が納得出来る環境、周囲との関係性を考えて移籍を決めたのだから、外の僕らがとやかく言うことではない」

と、この騒ぎを一蹴しています。
 

セルジオさんの言われる通り、
周囲が大げさに騒ぎすぎているのかもしれません。

これまでも国外とは言え
他のクラブに移籍したことはあるわけですし
プロサッカー選手としては
移籍は別に珍しいことではないわけですから。

 
もちろん、
マリノスファンからすれば
大きなショックを受ける出来事だったのは事実でしょうし
マリノスとのつながりを知るサッカーファンにとっても
驚きのニュースであったのも事実ですがw

 
私の例でいえば
清水エスパルスの大前元紀が
大宮アルディージャに移籍することが決まったのと
同じくらいショッキングな出来事ではあります。

ショッキングなニュースではありますが
受け入れるしかないですねw

 

中村選手が語った移籍の理由

とはいえ、
やはりなぜ移籍を決めたのか?
理由が気になりますよね?
 

「38歳という難しい年齢で難しい決断だったが名波監督(名波浩)の存在が大きかった。魅力のあるクラブで調整しようと思った」

と中村俊輔本人が語っています。

名波監督は中村選手が憧れた選手の1人です。
「魅力のあるチーム」と呼んだのは、
監督を中心にチーム作りがうまくいっているからでしょう。

名波監督も
「日本のナーガソン(マンチェスターユナイテッドの元監督ファーガソンと名波さんの名前を足した造語)になる」
と、できることなら長期間チームを率いたいという思いがあるようです。

またチームも名波監督に信頼を置いているからこそ、
まとまりが生まれているのでしょう。
 

なぜ移籍の道を選んだのか

移籍というのは選手にとって、
メンタル面に大きな変化が生まれます。

なぜなら、
身体的トレーニングやメンタル面の意識が
各チームで違うことにあります。

この年齢での移籍というのは
またイチから
チームに合わせたトレーニング方法を
覚えなければならないので大変です。
(同じクラブでも監督が変わればこうなることもあるでしょうがw)

チームから戦力構想外と言われたならまだしも
必要とされていながら移籍を決めたのには
何か大きな理由があったのでしょうか?
 

移籍の道を選んだ理由

横浜Fマリノスは
英国のシティー・フットボール・グループ(CFG)
という会社と資本提携しています。

横浜Fマリノス強化方針にも
CFGが絡んできているといわれています。

このCFG方針と中村俊輔の思いにズレが生じたのが
大きな理由ではないかとみられているようです。

 
ざっくり言ってしまえば
「選手とフロントとの軋轢(あつれき)」
ということで関係が悪化したということでしょうか?

「今のマリノスは以前のマリノスではない」
という気持ちになったんでしょうかね?

 

「お金じゃない、最後はサッカーだけ見向き合いたい。燃え尽きたい」

中村選手が語った言葉です。

実際に「1億2千万円」の年俸提示(マリノス)を蹴って
「8千万円」の契約オファー(ジュビロ)
にサインしているわけですからね。
(※年俸は推定)

 

ジュビロ磐田を選んだ理由

会見で中村俊輔は
「名波監督の存在が大きかった」と語っています。

名波監督も選手時代は
日本代表のエースとして
中心的に活躍した言わばスーパースターです。

やっぱり選手って
かつてのスーパースターの指導を仰ぎたい
って気持ちになるんでしょうかね?

今のレアルマドリード(ジダン監督)みたいw
 

まとめ

中村俊輔選手の移籍について
選手のコメントを中心に紹介してきました。

38という現在の年齢を考えれば
現役としてプレーできる期間もそう長くはないでしょう。
(三浦知良みたいな例もありますがw)
 

その選手生活の晩年を「ジュビロ磐田」で過ごそう
と考えた中村選手の決断は、
驚きでもあり、静岡県民としては嬉しくもあります。

私も俊輔のプレー、
俊輔のサッカーセンスは大好きですからw

私としてはエスパルスが一番ですが
ジュビロが二番なので、
今年のジュビロには大いに期待したいと思います。

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